サーンチーの仏教建造物群~インドの世界遺産と霊廟~世界遺産旅行記へようこそ

「インドのマディヤ・プラデーシュ州にある『サーンチーの仏教建造物群』には、仏教の開祖である仏陀(釈迦)の遺骨の一部が納められていますよ。」
「はい。」
「マディヤ・プラデーシュ州と言えば、インドの中央部にある州の一つで、州都はボーパールである。人口は60,385,118人(2001年)。面積は208.144平方kmで、インドの州では現在2番目の規模であり、2000年にチャッティースガル州が分離するまでは国内最大の面積を占めていた。」
「この『サーンチーの仏教建造物群』では、初期の仏教建築を見る事が出来ますよ。」
「そうなんですか。」
「1989年に世界遺産に登録された『サーンチーの仏教建造物群』は、仏教を布教するのに力を注いだマウリヤ朝のアショーカ王の下、建造が進められましたよ。」
「はい。」
「アショーカ王と言えば、マウリア朝の第3代の王である。漢訳音写では阿育王と書かれる。インド亜大陸をほぼ統一した。釈尊滅後およそ100年(または200年)に現れたという伝説もあるアショーカ王は、古代インドにあって仏教を守護した大王として知られる。アショカとも表記される。」
「マウリヤ朝と言えば、古代インドで栄えたマガタ国に興った王朝である。紀元前317年頃、チャンドラグプタによって建国された。アショーカ王の時に全盛期を迎え、南端部分を除くインド亜大陸全域を統一した。しかしアショーカ王の死後国家は分裂し、紀元前2世紀初頭、シュンガ朝の勃興により滅亡した。」
「世界遺産『サーンチーの仏教建造物群』は、大きく分けると「仏塔(ストゥーパ)」、「仏堂」、「僧院」の遺跡が残されていますよ。」
「はい。」
「僧院と言えば、同一の信仰を持つ出家修行者僧が、共同生活を行うための施設である。」
「仏堂と言えば、仏教寺院において仏像を安置し、礼拝供養するための建物である。境内以外に単独で建てられたものは境外仏堂(けいがいぶつどう)ということがある。」
「仏塔(ストゥーパ)と言えば、インドの墓、あるいは仏教建築物である。塔婆あるいは塔(とう)とも言う。」
「ここでのメインとなるのは「仏塔(ストゥーパ)」でしょう。」
「そうなんですか。」
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「仏塔(ストゥーパ)と言えば、インドの墓、あるいは仏教建築物である。塔婆あるいは塔(とう)とも言う。」
「仏教建造物で絶対に欠かせない仏像が、『サーンチーの仏教建造物群』には存在しませんよ。」
「どうしてですか。」
「初期の仏教建築では、ストゥーパが仏像の代わりとなっていますよ。」
「そうなんですか。」
「仏塔(ストゥーパ)と言えば、インドの墓、あるいは仏教建築物である。塔婆あるいは塔(とう)とも言う。」
「当時は、まだ仏像という存在がなかったためですね。」
「そうなんだ。」
「この『サーンチーの仏教建造物群』には、全部で3つのストゥーパがあり、その中で最も大きい第一ストゥーパに、仏陀の遺骨が納められていますよ。」
「はい。」
「仏塔(ストゥーパ)と言えば、インドの墓、あるいは仏教建築物である。塔婆あるいは塔(とう)とも言う。」
「ストゥーパは、半円形のドームのような形をしていますよ。」
「はい。」
「仏塔(ストゥーパ)と言えば、インドの墓、あるいは仏教建築物である。塔婆あるいは塔(とう)とも言う。」
「第一ストゥーパは、高さ約16m、直径約37mという巨大なものです。」
「大きいですね。」
「仏塔(ストゥーパ)と言えば、インドの墓、あるいは仏教建築物である。塔婆あるいは塔(とう)とも言う。」
「アショーカ王が建造した当時はこれ程の規模ではなく、レンガを積み上げたもう少し規模の小さなものでしたよ。」
「そうなんですか。」
「アショーカ王と言えば、マウリア朝の第3代の王である。漢訳音写では阿育王と書かれる。インド亜大陸をほぼ統一した。釈尊滅後およそ100年(または200年)に現れたという伝説もあるアショーカ王は、古代インドにあって仏教を守護した大王として知られる。アショカとも表記される。」
「後のシュンガ・アーンドラ王朝の時代に、現在のような石材で取り囲まれた形と規模になりましたよ。」
「そうなんだ。」
「ストゥーパの周りには、トラナと呼ばれる門が東西南北の計4つ建てられていますよ。」
「はい。」
「トラナと呼ばれる門と言えば、紀元前3世紀にアショーカ王は8万4千もの釈迦の遺骨(仏舎利)を安置する卒塔婆(ストゥーパ)を建立した。そのうちの8つがサンチに建てられ、現在、3つが残っている。第一塔がサンチの塔(サンチのとう)である。周囲には二重に欄楯(玉垣)が巡らされ、東西南北の四方に「トラナ」と呼ばれる塔門が配置されている。トラナの高さは約10m。塔門は日本の鳥居に似ているが、二本の方柱に三本の横梁が渡されている。」
「仏塔(ストゥーパ)と言えば、インドの墓、あるいは仏教建築物である。塔婆あるいは塔(とう)とも言う。」
「日本の鳥居の原型とも言われており、形もよく似ていますね。」
「そうなんですか。」
「トラナには細かい彫刻が施され、それぞれが「仏伝図」などの仏陀関連の話が描かれていますよ。」
「はい。」
「仏伝図と言えば、釈迦の伝記に基づいてその生涯のさまざまな出来事を描いた絵画や浮彫のことである。」
「トラナと呼ばれる門と言えば、紀元前3世紀にアショーカ王は8万4千もの釈迦の遺骨(仏舎利)を安置する卒塔婆(ストゥーパ)を建立した。そのうちの8つがサンチに建てられ、現在、3つが残っている。第一塔がサンチの塔(サンチのとう)である。周囲には二重に欄楯(玉垣)が巡らされ、東西南北の四方に「トラナ」と呼ばれる塔門が配置されている。トラナの高さは約10m。塔門は日本の鳥居に似ているが、二本の方柱に三本の横梁が渡されている。」
「しかし、仏陀と思われる人物は一切描かれていませんね。」
「どうしてですか?」
「それには理由があります。」
「はい。」
「仏陀は既に人の域を超えた超人という考えから、「菩提樹」や「仏足跡」などで抽象的に描かれていますよ。」
「そうなんですか。」
「仏足跡と言えば、お釈迦さまの入滅後、約500余年間は“仏像”というものがありませんでした。その代り人びとは菩提樹をもって樹下にお釈迦さまのおわしますことを瞳にうかべたり、またお釈迦さまの説法地と伝えられるところに石にお釈迦さまの足跡を刻み、その足跡を通してお釈迦さまを偲びながら、ひたすらお釈迦さまの教えに帰依し感銘を新たにしていました。これが仏足跡の始まりと伝えられています。」
「菩提樹と言えば、インド原産のクワ科イチジク属の常緑高木インドボダイジュのことである。」
「第一ストゥーパの隣には、一回り小さくした第3ストゥーパがありますよ。」
「はい。」
「仏塔(ストゥーパ)と言えば、インドの墓、あるいは仏教建築物である。塔婆あるいは塔(とう)とも言う。」
「こちらには、仏陀の10大弟子の「舎利弗」、「摩訶目?連」の二人の遺骨が納められていますよ。」
「はい。」
「舎利弗と言えば、釈迦の十大弟子の一人である。釈迦弟子中において、智慧第一と称される。舎利弗と目連を特に二大弟子と呼ぶ。『般若経』など大乗の経典では、小乗を代表する長老の仏弟子として登場することが多い。『般若心経』の舎利子は、この人物のことである。」
「ここのトラナは、南側の一つのみ残されていますよ。」
「はい。」
「トラナと呼ばれる門と言えば、紀元前3世紀にアショーカ王は8万4千もの釈迦の遺骨(仏舎利)を安置する卒塔婆(ストゥーパ)を建立した。そのうちの8つがサンチに建てられ、現在、3つが残っている。第一塔がサンチの塔(サンチのとう)である。周囲には二重に欄楯(玉垣)が巡らされ、東西南北の四方に「トラナ」と呼ばれる塔門が配置されている。トラナの高さは約10m。塔門は日本の鳥居に似ているが、二本の方柱に三本の横梁が渡されている。」
「仏教を広めたアショーカ王により建造が開始された『サーンチーの仏教建造物群』は、今でも仏教の一大聖地として、多くの仏教徒が参拝する地となっていますよ。」
「そうなんだ。」
「アショーカ王と言えば、マウリア朝の第3代の王である。漢訳音写では阿育王と書かれる。インド亜大陸をほぼ統一した。釈尊滅後およそ100年(または200年)に現れたという伝説もあるアショーカ王は、古代インドにあって仏教を守護した大王として知られる。アショカとも表記される。」
「しかし、実は仏陀はここに訪れた事がありませんよ。」
「そうなんですか。」
「何故この地が一大聖地として敬われているのか。」
「そうですね。」
「それは、アショーカ王の息子であるマヒンダが、この地から結果的に東南アジア諸国で仏教を広める事に成功したためですよ。」
「なるほど。」
「アショーカ王の息子であるマヒンダと言えば、アショーカ王は、仏教を伝道するために伝道師を数か国に派遣しましたが、スリランカへはご自身の息子であるマヒンダ長老を選びました。」
「アショーカ王と言えば、マウリア朝の第3代の王である。漢訳音写では阿育王と書かれる。インド亜大陸をほぼ統一した。釈尊滅後およそ100年(または200年)に現れたという伝説もあるアショーカ王は、古代インドにあって仏教を守護した大王として知られる。アショカとも表記される。」
「インドは元より近隣諸国の仏教徒にとって、とても重要な聖地として崇められていますよ。」
「わかりました。」
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