モザンビークのモザンビーク島~アフリカの世界遺産と自然の旅~世界遺産旅行記へようこそ

「モザンビーク島は、澄みわたるようなラムネ色の海と、白いビーチが続いていますよ。」
「綺麗でしょうね。」
「モザンビーク島は、その歴史的文化遺産の価値の高さから、1991年に「世界遺産」に登録されましたよ。」
「はい。」
「古くから交易の拠点として、貿易に長けたアラブ人が頻繁に往来しましたよ。」
「はい。」
「インドで採れる貴重な香辛料などの貿易業にいそしんでいましたよ。」
「そうなんだ。」
「商人達は、アフリカの太平洋側からインドの間を吹く貿易風を利用して、帆船を目的地へ進めていましたよ。」
「はい。」
「象牙や金銀などアフリカ全土から集められた貴重な品が、この島に集められ、喜望峰を回りヨーロッパへ運ばれていきましたよ。」
「はい。」
「喜望峰と言えば、南アフリカ共和国西ケープ州ケープタウンにある岬である。」
「日本とも関わりの深い島ですよ。」
「そうなんですか。」
「キリスト教を伝えたフランシスコザビエルは、喜望峰をまわりアジアへ出帆する前に、モザンビーク島で季節風を待ちましたよ。」
「はい。」
「季節風と言えば、一般に夏は海洋から大陸に、冬は大陸から海洋へと、季節によってほぼ正反対にかつ広範囲に吹いている風系である。日本付近では夏の南東風と、冬の北西風とが季節風である。」
「天正遣欧少年使節も同じ事ですよ。」
「そうなんだ。」
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「天正遣欧少年使節と言えば、1582年(天正10年)に九州のキリシタン大名、大友宗麟・大村純忠・有馬晴信の名代としてローマへ派遣された4名の少年を中心とした使節団である。イエズス会員アレッサンドロ・ヴァリニャーノが発案。1590年(天正18年)に帰国。使節団によってヨーロッパの人々に日本の存在が知られる様になり、彼らの持ち帰ったグーテンベルク印刷機によって日本語書物の活版印刷が初めて行われキリシタン版と呼ばれる。」
「彼らも往復どちらの時も、この美しい島で、風向きが変わるのをずっと待っていましたよ。」
「はい。」
「織田信長が宣教師であるヴァリニャーノ神父から献上された黒人奴隷は、モザンビーク出身の少年であったと言われていますよ。」
「はい。」
「宣教師であるヴァリニャーノ神父と言えば、キリシタン時代の日本を訪れたイエズス会員、カチリック教会の司祭である。イエズス会東インド管区の巡察師として活躍し、天正遣欧少年使節派遣を計画・実施した。」
「ヤスケと命名された彼は信長に可愛がられ、武士として処遇されたたため、並々ならぬ忠誠心で信長に仕えましたよ。」
「そうなんだ。」
「しかし、本能寺の変で信長が没した後、天下統一を果たした豊臣側によって、インドのイエズス会へ送り返されてしまいましたよ。」
「そうなんですか。」
「モザンビーク本土から3kmで結ぶ橋を渡れば、この島に到着しますよ。」
「はい。」
「モザンビーク島は直径2kmの細長い島ですよ。」
「はい。」
「海上交通の要衝として、貿易民族アラブ人の影響が色濃く残るスワヒリ文化が見られる世界最南端の土地と言われていますよ。」
「そうなんだ。」
「スワヒリ文化と言えば、スワヒリ文明は、インド洋交易によって栄えた東アフリカの島嶼の都市群を中心とした海洋文明のことである。イスラームを生活規範としながら、アラブ・ペルシア系の外来文化と土着のアフリカ農耕文化の融合によって作り上げられ、共通言語としてスワヒリ語が用いられた。」
「その後、ポルトガルの支配を受けましたよ。」
「はい。」
「ポルトガルが東インド会社を置いたことから、スワヒリ文化とポルトガル文化が融合し、他では見られない、独特の文化様式を継承している貴重な島ですよ。」
「はい。」
「東インド会社と言えば、アジア地域との貿易独占権を与えられた特許会社である。重商主義帝国下、特に貿易差額主義に基づく経済活動に極めて大きな役割を果たした。なお、ここで言う「インド」とはヨーロッパ、地中海沿岸地方以外の地域をさす。同様の特許会社に新世界との交易を行った西インド会社がある。各国ごとに設立された。オランダ東インド会社は世界初の株式会社としても有名である。」
「16世紀に入植したポルトガル人たちが残した遺構である、サン・セバスチャン要塞やノサ・セニョラ・デ・バルアルテ礼拝堂、サン・パウロ宮殿等の建造物が見ものですよ。」
「そうなんですか。」
「サン・パウロ宮殿と言えば、1610年に建設されたポルトガルの現地の支配者、総督の住居でサンパウロ宮殿と呼ばれていましたが、今は博物館になっています。1階部分が海洋博物館です。」
「ノサ・セニョラ・デ・バルアルテ礼拝堂と言えば、1522年にはノサ・セニョラ・デ・バルアルテ礼拝堂が建てられた。この礼拝堂は、南半球における現存最古のヨーロッパ建築と見なされている。」
「サン・セバスチャン要塞と言えば、16世紀にサン・セバスティアン要塞が建造され、次いで建てられたポルトガルの植民都市モザンビークは、ポルトガル領東アフリカの首都となった。サン・セバスチャン要塞の中にあるノサ・セニョラ・デ・バルアルテ礼拝堂、 サン・パウロ宮殿などに今も当時の姿をたどることができる。ユネスコの世界遺産に登録されている。」
「入植したポルトガル人の手によって整備された要塞は、1558年から1620年にかけて建造されたものですよ。」
「はい。」
「この砦の修復工事にあたり,日本が資金を提供しましたよ。」
「そうなんですか。」
「貴重な「世界遺産」で、私達の税金が役立っているのも喜ばしいことですね。」
「そうですね。」
「この島は、魚料理がとても美味しいところですよ。」
「はい。」
「街中には魚のから揚げなどが売っていますよ。」
「はい。」
「物価はとても安いですよ。」
「いいですね。」
「島の何処を歩いても綺麗で、海は抜けるような水色ですよ。」
「綺麗でしょうね。」
「頬を撫でる潮風が、気持ちよく旅情をくすぐる島ですよ。」
「はい。」
「リゾートホテルもありますよ。」
「はい。」
「「世界遺産」と、とびきりのリゾートを堪能できる旅になりそうですよ。」
「わかりました。」
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