モーリシャスのアープラヴァシ・ガート~アフリカの世界遺産と自然の旅~世界遺産旅行記へようこそ

「モーリシャスは、アフリカ大陸のマダガスカルの東方に浮かぶ島国ですね。」
「はい。」
「モーリシャスは、大航海時代以降、領有する国がめまぐるしく変わりましたよ。」
「そうなんですか。」
「1814年にイギリス領となり、サトウキビやお茶の栽培が盛んに行われる様になりましたよ。」
「はい。」
「かつては、イギリスも黒人奴隷を使っていましたよ。」
「はい。」
「しかし、1835年に奴隷制度を廃止しましたよ。」
「そうなんだ。」
「そのため、農業に従事する労働力を受け入れる必要が出てきましたよ。」
「そうでしょうね。」
「そこで1834年以降、主にイギリスの植民地であったインドからの労働者を受け入れることにしましたよ。」
「はい。」
「この移民受け入れに用いられた施設が、アープラヴァシ・ガートですよ。」
「そうなんだ。」
「アープラヴァシ・ガートと言えば、モーリシャスの首都ポートルイスにある移民受け入れに使われてきた建造物群の総称である。紆余曲折はあったものの、2006年にモーリシャスで初となるユネスコの世界遺産に登録された。」
「現在のモーリシャスの首都ポートルイスの近くですよ。」
「はい。」
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「モーリシャスの首都ポートルイスと言えば、インド洋に位置するモーリシャスの首都で、人口は135,371人(1996年)。主島のモーリシャス島にある港湾都市で、同国最大の都市。アフリカ有数の世界都市であり、ポートルイス県に属す。」
「ここから隣のレユニオン島、オーストラリアへも労働力としてインド人が送り込まれましたよ。」
「はい。」
「レユニオン島と言えば、レユニオンは、フランス共和国の海外県ならびに海外地域圏(レジオン)である。マダガスカル島東方のインド洋上に位置する。面積2512平方キロメートル、人口約84万6000人(2010年推定)。コーヒーの原種の一つブルボン種の原産地。県都はサン=ドゥニ。1642年 国王ルイ13世によってブルボン島と命名されたが、ブルボン王政を打倒したフランス革命によってレユニオン島と改名された。」
「受け入れたインド人の総数は、約45万人と推定されていますよ。」
「多いですね。」
「当初、インド人労働者は、クーリーと呼ばれていましたよ。」
「はい。」
「受け入れ施設は、クーリー・ガットと呼ばれていましたよ。」
「どういう意味ですか?。」
「クーリーは、差別的な意味合いがありますよ。」
「はい。」
「そのため、インド人がよく用いていたヒンディ語で「移民の駅」という意味を持つ、アープラヴァシ・ガートに名が改められましたよ。」
「そうなんですか。」
「イギリスの植民地支配を受けていましたが、インド人は奴隷としてやってきたのではありませんよ。」
「そうなんだ。」
「「契約移民労働」という考え方に基づいて、連れて来られましたよ。」
「はい。」
「契約移民労働と言えば、年季契約移民は、17~18世紀,ヨーロッパから北アメリカのイギリス領植民地へ渡った移民で,到着後一定期間の不自由労働を義務づけられた者である。ニューイングランド以外の北アメリカ植民地への渡航者の半数以上を占める重要な労働力源であった。」
「そして、プランテーション経済のさきがけとなる取り組みがなされましたよ。」
「どういう取り組みですか?。」
「プランテーション経済と言えば、単一、または少数の一次産品に依存する経済構造である。コーヒー、天然ゴム、サトウキビ、ヤシ、綿(綿花)その他果物全般などがプランテーション作物として良く知られている。プランテーション作物の多くは商品作物であり、国としてはこれを輸出することで外貨を稼がざるを得ないが、これに依存している度合いが高い国の場合、自然災害などの影響を受けると経済が立ち行かなくなってしまう。こういった経済構造はモノカルチャー経済とも呼ばれる。」
「モーリシャスには、石造りの建造物が現存していますよ。」
「はい。」
「船をつける波止場、入口の門や、一時的に滞在するための施設、馬小屋などが今でも残っていますよ。」
「はい。」
「最大時には、1000人もの労働者が滞在出来るほどに施設の規模が拡大していましたよ。」
「はい。」
「現在世界遺産でもあるアープラヴァシ・ガートが使われたのは、第一次大戦の直前の1910年までですね。」
「そうなんですか。」
「その後は、高速道路の建設などで、倒壊していきましたよ。」
「はい。」
「1970年にインドの首相、インディラ・ガンジーがこの地を訪れた事がきっかけとなり、かつての施設の保護に向かって国が動き出しましたよ。」
「そうなんだ。」
「インドの首相、インディラ・ガンジーと言えば、インドの女性政治家で第5代、8代首相である。日本では“ガンジー”とも表記される。インドの初代首相であるジャワハルラール・ネルーは父。息子にインド第9代首相を務めたラジーヴ・ガンディー、及びサンジャイ・ガンディーがいる。」
「そして復旧工事が、1990年代に始められるようになりましたよ。」
「はい。」
「復旧工事に際しても、1860年代の外観を復元するように、現在の材料ではなく当時のものと同じ材料を用いて慎重になされていますよ。」
「はい。」
「「契約移民労働」は、世界に先駆けた取り組みですよ。」
「そうなんだ。」
「契約移民労働と言えば、年季契約移民は、17~18世紀,ヨーロッパから北アメリカのイギリス領植民地へ渡った移民で,到着後一定期間の不自由労働を義務づけられた者である。ニューイングランド以外の北アメリカ植民地への渡航者の半数以上を占める重要な労働力源であった。」
「その実態を記した施設と言う事で、2006年に文化遺産として世界遺産に登録されました。」
「なるほど。」
「ただ、登録に際しては隣の仏領レユニオンでも同様の申請があった事などから、国際記念物遺跡会議(ICOMOS)が異を唱えていたようですね。」
「はい。」
「国際記念物遺跡会議(ICOMOS)と言えば、世界の歴史的な記念物(あるいは歴史的建造物)および遺跡の保存に関わる専門家の国際的な非政府組織であり、ユネスコの記念物および遺跡の保護に関する諮問機関である。」
「すんなりと世界遺産登録に至った訳ではありませんでしたよ。」
「わかりました。」
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