フォンテーヌブローの宮殿と庭園~フランスの世界遺産と文化遺産~世界遺産旅行記へようこそ

「「フォンテーヌブローの宮殿と庭園」は、フランソワ1世(1494~1547年)以降の歴代フランス王が愛した場所ですよ。」
「はい。」
「フランソワ1世と言えば、ヴァロワ朝第9代フランス王(在位:1515年 - 1547年)。シャルル5世の曾孫でルイ12世の従兄に当たるアングレーム伯シャルル・ドルレアンと、サヴォイア公フィリッポ2世の娘ルイーズ・ド・サヴォワとの間に生まれた。フランス最初のルネサンス君主と評される。」
「宮殿は、フランス最大規模になりますよ。」
「そうなんですか。」
「この「フォンテーヌブローの宮殿と庭園」は、1981年に世界遺産に登録されましたよ。」
「はい。」
「フォンテーヌブローの宮殿は、歴代王家の人々が滞在する場所として利用されましたよ。」
「はい。」
「さらに、その場所は王家の権威の象徴としての役割も果たしてきましたよ。」
「そうなんですか。」
「フォンテーヌブローの庭園(「森」とも言う)は、王家の人々が狩りを楽しんだ、かつての狩猟の場所として有名ですね。」
「そうなんだ。」
「昔は、この庭園に王家の人々が狩猟の館を構えていましたよ。」
「はい。」
「「フォンテーヌブローの宮殿と庭園」には、フランスの宮廷文化が凝縮されていますよ。」
「そうなんですか。」
「フランスの世界遺産の中でも、最大のハイライトと言えますね。」
「なるほど。」
「フォンテーヌブローの地は、12世紀には既に王家の領土になっていましたよ。」
「はい。」
「そして、狩猟の館やフォンテーヌブロー城などがありましたよ。」
「はい。」
「この地を本格的に改修・拡張したのは、当時のフランス国王、フランソワ1世(在位:1515~1547年)ですね。」
「そうなんだ。」
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「フランソワ1世は、「芸術家の庇護者」として知られていますね。」
「そうなんですか。」
「ルネサンス芸術に魅了された人物ですね。」
「はい。」
「ルネサンス芸術と言えば、15世紀から16世紀にかけイタリアのフィレンツェを中心に展開し、絵画、建築、彫刻などあらゆる芸術に影響を与えた史上最も重要な芸術運動である。」
「イタリアでルネサンス芸術の花が開いている頃、フランスはまだ、芸術大国と言うには程遠い存在でしたね。」
「そうなんですか。」
「そこで、フランソワ1世は、フランスを「芸術の地」として確立するために、フォンテーヌブローに多くのイタリア人芸術家を招きましたよ。」
「そうなんだ。」
「1528年に、宮殿建築計画に取り掛かりますよ。」
「はい。」
「全体の設計を担当したのは、建築家のジル・ル・ブルトンですね。」
「はい。」
「建築家のジル・ル・ブルトンと言えば、フランソワ1世は、フランスを「芸術の地」として確立するために、フォンテーヌ ブローに多くのイタリア人芸術家を招きました。1528年に、宮殿建築計画に取り掛かります。 全体の設計を担当したのは、建築家のジル・ル・ブルトンです。」
「フランス国王の招聘により集まってきたイタリア人芸術家・建築家は、国王の思い描いた夢の宮殿を、見事に実現しましたね。」
「そうなんだ。」
「外観・内装共に、基本はルネサンス様式ですよ。」
「はい。」
「ルネサンス様式と言えば、15~17世紀初頭に、イタリアを中心に広くヨーロッパに普及した建築・美術様式である。古代ギリシャ・ローマ様式を復興させ、建築ではシンメトリー(左右対称)とバランス(調和)を重視した。」
「イタリア人芸術家が本来持つルネサンス芸術のセンスと、フランス人が好む優雅さや官能の世界を見事に融合させ、ひときわ洗練された空間を造り上げましたよ。」
「はい。」
「フランソワ1世が精力的にイタリア芸術家を庇護し、それに応えるようにイタリア人芸術家たちは、素晴らしい作品を制作し続けましたよ。」
「そうなんだ。」
「フォンテーヌブローの宮殿には、フランソワ1世の名前を冠した「フランソワ1世の回廊」が芸術家たちによって作られましたよ。」
「はい。」
「フランソワ1世の回廊と言えば、フォンテーヌブロー宮殿の各棟をつなぐために作られた建物の中にあり、フランソワ1世がイタリア人芸術家にイタリアルネサンス風の豪華な装飾を施させた回廊である。」
「そこは、絵画と化粧漆喰が交互に並ぶ、見事な空間になっていますよ。」
「そうなんだ。」
「フランソワ1世が居住していた棟も現在まで残っていますよ。」
「はい。」
「楕円の中庭」に沿うようにして、青い屋根の美しい棟が並んでいます。」
「そうなんですか。」
「フォンテーヌブローの宮殿と庭園」は、フランソワ1世後も、その高い芸術性と宮殿を取り囲むフォンテーヌブローの森に憩いを求めた王家の人々によって保護され、愛され続けましたよ。」
「はい。」
「フォンテーヌブローの森と言えば、フォンテーヌブローは、フランス、パリ郊外の都市である。フォンテーヌブローには、歴代フランス王の愛したフォンテーヌブロー城、またかつての王族の狩猟地で現在も自然が保全されている広大なフォンテーヌブローの森がある。」
「後のルイ13世は、ここで生まれましたよ。」
「はい。」
「ルイ14世は、狩りのシーズンである9~11月は、毎年ここに居住しましたよ。」
「そうなんですか。」
「ルイ14世と言えば、ブルボン朝第3代のフランス国王(在位:1643年5月14日 - 1715年9月1日)。ナバラ国王としてはルイス3世。ルイ13世の長子。妃はスペイン国王フェリペ4世の娘マリー・テレーズ・ドートリッシュ(マリア・テレサ)。ブルボン朝最盛期の王で太陽王と呼ばれた。」
「ルイ16世は、妻マリー・アントワネットのために、3連の部屋(遊戯室、私室、寝室)を増改築し、フランスの宮廷文化を牽引していきましたよ。」
「わかりました。」
「ルイ16世と言えば、ブルボン朝第5代のフランス国王(在位:1774年5月10日 - 1792年8月10日)。ナバラ国王としてはルイス5世。ルイ15世の孫。王妃は神聖ローマ皇帝フランツ1世と皇后マリア・テレジアの娘マリー・アントワネット。」
「マリー・アントワネットと言えば、フランス国王ルイ16世の王妃である。フランス革命中の1793年に刑死した。1755年11月2日、神聖ローマ皇帝フランツ1世シュテファンとオーストリア女大公マリア・テレジアの十一女としてウィーンで誕生した。」
「フランソワ1世によって「芸術の集大成」としてのフォンテーヌブローの宮殿が誕生しましたよ。」
「はい。」
「フランソワ1世と言えば、ヴァロワ朝第9代フランス王(在位:1515年 - 1547年)。シャルル5世の曾孫でルイ12世の従兄に当たるアングレーム伯シャルル・ドルレアンと、サヴォイア公フィリッポ2世の娘ルイーズ・ド・サヴォワとの間に生まれた。フランス最初のルネサンス君主と評される。」
「それ以来、歴代のフランス王家はフォンテーヌブローの地を愛し続け、増改築を繰り返してきましたよ。」
「はい。」
「しかし、1789年のフランス革命により、フォンテーヌブローは一気に転落の道を辿る危機に直面しましたよ。」
「そうなんですか。」
「フランス革命と言えば、18世紀にフランスで起きた市民革命である。1787年の貴族の反抗からナポレオンによるクーデターまでが、一般に革命期とされている。前近代的な社会体制を変革して近代ブルジョア社会を樹立した革命として、 世界史上、ブルジョア革命 (市民革命) の代表的なものとされる。」
「革命により、フランス各地の教会やその他の建築物は被害に遭いましたよ。」
「はい。」
「フォンテーヌブローの宮殿と庭園も荒廃していきましたよ。」
「はい。」
「自由を手にしたフランス国民は、王家が二度と富や権力を持たないように、フォンテーヌブローの宮殿に収められていた家具や調度品を全て売り払いましたよ。」
「そうなんですか。」
「宮殿は空っぽになり、王家の華やかな歴史と宮廷文化は、すぐに忘れ去られる存在になりましたよ。」
「そうなんだ。」
「しかし、この宮殿の魅力とそれを囲む森の美しさに、誰も逆らえませんでしたよ。」
「はい。」
「フランス革命から10年後、ナポレオン・ボナパルトによって帝政時代が始まりましたよ。」
「はい。」
「ナポレオン・ボナパルトと言えば、革命期フランスの軍人・政治家である。ナポレオン1世(在位:1804年 - 1814年、1815年)としてフランス第一帝政の皇帝にも即位した。フランス革命後の混乱を収拾して軍事独裁政権を樹立し、イギリスを除くヨーロッパの大半を勢力下に置いた(ナポレオン戦争)が、最終的に敗北し失脚した。」
「ナポレオンも又、フォンテーヌブローの宮殿にすっかり魅了されましたよ。」
「そうなんだ。」
「特にナポレオンは、フォンテーブローヌの宮殿を「権威の証」とし、再び宮殿に息を吹き込みましたよ。」
「はい。」
「ナポレオンも又、宮殿増改築に積極的に関わった人物の一人ですね。」
「そうなんだ。」
「コルシカ島の貧しい貴族の家庭で生まれた彼は、フォンテーヌブローの宮殿と庭園を、自分の意のままにしようと試みましたよ。」
「はい。」
「コルシカ島と言えば、地中海西部、イタリア半島の西に位置するフランス領の島である。フランス皇帝ナポレオン1世の出身地として知られている。」
「その時代には、「ナポレオンの寝室」、「ナポレオン1世の格子門」などが新たに設けられましたよ。」
「はい。」
「元々国王の寝室があった場所を、金箔の施された「玉座の間」に改修しましたよ。」
「そうなんだ。」
「現在、私たちが目にする「フォンテーヌブローの宮殿と庭園」は、ナポレオンの時代に増改築された姿ですよ。」
「はい。」
「しかし、ナポレオンの時代は長く続きませんでしたよ。」
「そうなんですか。」
「1804年に帝位に就いたナポレオンは僅か10年で失脚し、フォンテーヌブローをあとにすることになりましたよ。」
「短いですね。」
「その後は、ナポレオン3世がフォンテーヌブローの地を引き継ぎ、フランス第二帝政の時代を築いていきますよ。」
「はい。」
「フランス第二帝政の時代と言えば、1852年から1870年まで存在した君主政体である。ナポレオン・ボナパルトの甥であるルイ=ナポレオン(ナポレオン3世)が1851年12月2日にクーデターによって議会を解散し、新たな憲法を制定した上で国民投票によってフランス皇帝に即位した。」
「ナポレオン3世と言えば、フランス第二共和制の大統領(在任:1848年 - 1852年)、のちフランス第二帝政の皇帝である(在位:1852年 - 1870年)。本名はシャルル・ルイ=ナポレオン・ボナパルトであり、皇帝に即位して「ナポレオン3世」を名乗る以前については一般にルイ・ナポレオンと呼ばれている。」
「フランスの帝政時代は1870年に幕を閉じますよ。」
「はい。」
「そして、フォンテーヌブローの増改築の歴史にも、幕が下ろされましたよ。」
「そうなんだ。」
「現在は、フランス文化省の機関によって保護されていますよ。」
「はい。」
「改修の必要となった絵画や建築物は、修復士たちによる丁寧な修復作業がされていますよ。」
「はい。」
「そして、1981年に世界遺産に認定されましたよ。」
「そうなんだ。」
「フォンテーヌブローの宮殿と庭園」は、現在でも人々を魅了する場所として輝き続けていますね。」
「はい。」
「世界遺産にまでなっていますから、世界中から観光客が押し寄せるのは言うまでもありませんね。」
「はい。」
「フォンテーヌブローはフランスの首都・パリに近いので、週末になると、平日の疲れから解放され、癒されるために、多くのパリ市民がこの庭園を訪れますよ。」
「そうなんですか。」
「パリと言えば、フランスの首都であり、イル=ド=フランス地域圏の首府である。フランス最大の都市であり、同国の政治、経済、文化などの中心である。また、ニューヨーク、ロンドン、東京などと並ぶ世界トップクラスの世界都市でもある。」
「「フォンテーヌブローの宮殿と庭園」は、世界中の人々を魅了する芸術の集大成ですよ。」
「はい。」
「フランス市民にとっても必要な場所ですね。」
「はい。」
「そんな、フランス国内外から人々が訪れる、壮大なフォンテーヌブローの歴史を、一度生で味わってはいかがでしょうか。」
「わかりました。」
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