アルジェのカスバ~アルジェリアの世界遺産とアフリカ最大国の魅力~世界遺産旅行記へようこそ

「アルジェリアの首都アルジェは、二つの表情を見せますよ。」
「どういうことですか?」
「首都アルジェと言えば、アルジェリアの首都アルジェ。地中海に沿って美しい白い壁の建物が並び、フランスの植民地であったことがうかがえる素晴らしいところです。」
「地中海に面し、「北アフリカのパリ」と称される街並みですね。」
「はい。」
「もう一つは、一度踏み込むと、迷路のようなアラビアの神秘的な街ですね。」
「そうなんだ。」
「その中世アラブの街並みは、「アルジェのカスバ」として、1992年、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されましたよ。」
「はい。」
「旧市街「アルジェのカスバ」と言えば、アルジェリアの首都アルジェの旧市街を構成する一画の呼称である。ユネスコの世界遺産にも登録されている。なお、アルジェリアにはカスバと呼ばれる市街は他にもあるが、単に「カスバ」といった場合には一般にこのアルジェのカスバを指す。」
「海賊とオスマン・トルコ帝国についてですが、アルジェは、現在のアルジェリアの首都で、地中海沿岸の美しく、また観光客にとってはミステリアスで魅力溢れる都市として、人気がありますね。」
「はい。」
「その歴史は古く、紀元前1200年まで遡りますよ。」
「そうなんだ。」
「しかし、現在の旧市街の街が作られたのは、16世紀に入ってからですよ。」
「はい。」
「当時スペインが支配していたアルジェに、“バルバロス(赤ひげ)”の異名でヨーロッパ人に恐れられていた大海賊が侵攻しましたよ。」
「そうなんですか。」
「バルバロス(赤ひげ)の異名でヨーロッパ人に恐れられていた大海賊と言えば、16世紀になってからアルジェの旧市街の街が作られました。当時スペインが支配していたアルジェに“バルバロス(赤ひげ)”の異名でヨーロッパ人に恐れられていた大海賊が侵攻しました。バルバロスはその後オスマン・トルコ帝国に帰属し、提督としてスペイン人との戦いに勝利し、その後のアルジェは、オスマン・トルコの艦隊拠点として、一方ヨーロッパ人にとっては海賊海岸として恐れられるようになりました。」
「バルバロスは、その後オスマン・トルコ帝国に帰属し、提督としてスペイン人との戦いに勝利しましたよ。」
「はい。」
「オスマン・トルコ帝国と言えば、オスマン帝国は、テュルク系(後のトルコ人)のオスマン家出身の君主(皇帝)を戴く多民族帝国で、15世紀には現在のトルコの都市イスタンブルを征服して首都とし、17世紀の最大版図は、東西はアゼルバイジャンからモロッコに至り、南北はイエメンからウクライナ、ハンガリー、チェコスロヴァキアに至る広大な領域に及んだ。かつては「オスマントルコ」、「トルコ帝国」、「オスマントルコ帝国」、「オスマン朝トルコ帝国」とされることが多かったが、現在はオスマン帝国あるいは単にオスマン朝と表記するようになっている。」
「その後のアルジェは、オスマン・トルコの艦隊拠点として、一方ヨーロッパ人にとっては海賊海岸として恐れられるようになりましたよ。」
「そうなんだ。」
「その後アルジェは繁栄を極め、ヨーロッパ人に対する海賊行為を続けていきますよ。」
「はい。」
・・・続きを読む
「海賊たちは、城塞を作り、壮麗な建物の街を築いていきましたよ。」
「はい。」
「「カスバ」とは、元々オスマン・トルコ帝国の城塞という意味ですよ。」
「そうなんですか。」
「後に、当時の古い街並み全体をさす言葉として使われるようになりましたね。」
「はい。」
「世界遺産「アルジェのカスバ」の見所についてですが、「アルジェのカスバ」の特徴は、起伏に富んだ地形を城塞と海岸線で囲んでいることにありますね。」
「はい。」
「その街並みは、常に急勾配の坂道と、曲がりくねった細い路地となっていますよ。」
「そうなんだ。」
「家々は何世紀もの間に、互いを支え合うように建築され、ミステリアスな奇観を生み出していますよ。」
「はい。」
「しかし、かつては美しかった街も、現在は老朽化が進み、わびしさを醸し出していますよ。」
「そうなんだ。」
「階段状にある路地に立つ家は、折り重なるようになっていますよ。」
「はい。」
「一つが倒壊すれば、ドミノ倒しのように崩れる恐れもありますよ。」
「危ないですね。」
「「アルジェのカスバ」は、他の観光地のような“美観の整った”旧市街を期待すべきではありませんよ。」
「そうなんだ。」
「しかし、中世アラブの雰囲気を直接肌で感じることのできる、貴重な遺産ですよ。」
「わかりました。」
「アルジェの旧市街観光についてですが、アルジェリアの首都アルジェの旧市街の観光は、街を散策することが一番の目的となるでしょう。」
「はい。」
「まずは、展望台へ進み、港を一望しましょう。」
「はい。」
「下方に広がる白いカスバと向こうに見える地中海の青が、中世のままの景観ですよ。」
「そうなんだ。」
「展望台の近くには、10世紀頃の創建と考えられている古いモスクがありますよ。」
「はい。」
「さらに階段を降りて、石畳の路地を散策すれば、市場や工房なども点在し、中世当時の面影を残していますよ。」
「そうなんだ。」
「アルジェリアは、治安が不安定な国ですよ。」
「はい。」
「旅行を企画される際には、外務省の海岸安全ホームページで渡航情報(危険情報)をご確認ください。」
「わかりました。」
「「北アフリカのパリ」と称されるアルジェですね。」
「はい。」
「1992年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された「アルジェのカスバ」とアルジェリアの首都アルジェの魅力をご紹介します。」
「お願いします。」
「フランス植民地時代から現在のアルジェへの流れについてですが、16世紀、ヨーロッパを恐れさせた大海賊が城塞(カスバ)を築きましたよ。」
「そうなんですか。」
「次々と建物を建設して栄えたアルジェは、1830年にフランス軍に侵攻されましたよ。」
「はい。」
「その後、20世紀までフランスの植民地政策によって、城塞の大半は破壊されましたよ。」
「はい。」
「カスバの中の古い街並みは、中世のアラブの雰囲気を残しましたよ。」
「そうなんだ。」
「現在では、この旧市街となった街のものをカスバと呼んでいますね。」
「そうなんだ。」
「フランス支配は、1962年まで続きますよ。」
「はい。」
「その間、植民地としてフランスは都市建設を行い、海岸部はフランス風に改造しましたよ。」
「はい。」
「この新市街には、「アフリカの貴婦人」と呼ばれるノートルダム大聖堂をシンボルとしていますよ。」
「そうなんですか。」
「「アフリカの貴婦人」と呼ばれるノートルダム大聖堂と言えば、新市街には、「アフリカの貴婦人」と呼ばれるノートルダム大聖堂をシンボルとして、現在はオペラハウスや博物館、駅舎など、近代的なパリ風の街並みとなっています。」
「現在は、オペラハウスや博物館、駅舎など、近代的なパリ風の街並みとなっていますよ。」
「そうなんだ。」
「物語の中の「アルジェのカスバ」についてですが、カスバやアルジェを舞台にした物語をご紹介します。」
「お願いします。」
「一番に名があがるのは、アルベール・カミュの『異邦人』でしょう。」
「はい。」
「アルベール・カミュの『異邦人』と言えば、アルベール・カミュの小説である。1942年刊。人間社会に存在する不条理について書かれている。カミュの代表作の一つとして数えられる。カミュが46歳の若さでノーベル文学賞を受賞したのは、この作品によるところが大きいと言われる。」
「アルベール・カミュと言えば、フランスの小説家、劇作家である。フランス領アルジェリア出身。アルジェ大学卒業後ジャーナリストとして活動、第二次大戦中に刊行された小説『異邦人』、エッセイ『シーシェポスの神話』などで注目される。また『カリギュラ』『誤解』などを上演し、劇作家としても活動した。戦後に発表した小説『ペスト』はベストセラーとなったが、エッセイ『反抗的人間(フランス語版、英語版)』はその思想をめぐって毀誉褒貶を受けた。1957年、史上2番目の若さでノーベル文学賞を受賞している。」
「アルジェリアが、まだフランス植民地であった1942年に、アルジェを舞台に描かれた小説ですね。」
「そうなんですか。」
「物語の終盤の有名な主人公の台詞「太陽が眩しかったから」は、カスバの光のさしにくい路地と、アフリカ大陸の強い太陽の陽射しの対比を呼び起こしますね。」
「はい。」
「カスバそのものを舞台にした有名な名画もありますよ。」
「はい。」
「1937年のフランス映画『望郷』ですね。」
「そうなんだ。」
「1937年のフランス映画『望郷』と言えば、1937年に製作・公開されたフランスの映画である。撮影は1936年。アシェルベ(アンリ・ラ・バルト)の小説を基にジュリアン・デュヴィヴィエが監督、ジャン・ギャバンが主演した。詩的リアリズム路線の代表作の一つとされる。当時のフランス領アルジェリアの中心都市・アルジェが主な舞台となっている。」
「無法地帯となっていたカスバの顔役となるフランス人の犯罪者ペペ(名優ジャン・ギャバン)が、迷路のような路地を歩く映像に惹かれて、アルジェのカスバに憧れを持つ観光客が今も後を絶ちませんね。」
「はい。」
「フランス人の犯罪者ペペ(名優ジャン・ギャバン)と言えば、フランス映画「望郷」は、名優ジャン・ギャバンが粋な犯罪者ペペ・ル・モコcite_note-2を演じたラブ・ストーリーである。」
「アルジェリア独立後の1966年の映画『アルジェの戦い』も有名でしょう。」
「そうなんだ。」
「アルジェリア独立後の1966年の映画『アルジェの戦い』と言えば、1966年9月8日にイタリアで公開された戦争映画である。監督はジッロ・ポンテコルヴォ。アルジェリアのフランスからの独立までのアルジェリア戦争を描いている。1966年のヴェネツィア国際映画祭では金獅子賞を受賞した。」
「アルジェリアの独立戦争は、アルジェのカスバが民族運動の拠点となっていますよ。」
「わかりました。」
「アルジェの新市街観光についてですが、「北アフリカのパリ」と呼ばれるアルジェの新市街をご紹介します。」
「お願いします。」
「地中海沿岸にあって、広い大通りと近代的な建物が並ぶ美しい街並みですよ。」
「はい。」
「まずは、アルジェ市街の北、地中海に面した岬の高台にそびえる「ノートルダム・ド・アフリーク教会」を訪ねましょう。」
「はい。」
「ノートルダム・ド・アフリーク教会と言えば、アルジェリアの首都アルジェにあるカトリックの教会である。旧市街の西部の高台に位置し、地中海を一望できる。フランス植民地時代の18世紀後半にネオビザンチン様式で建造。高さ124メートル。」
「マルセイユのノートルダム・ド・ラ・ガルドと対になるように1858年に建てられた、フランス植民地時代のカトリック教会ですね。」
「そうなんだ。」
「マルセイユと言えば、フランス最大の港湾都市で、プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏の首府、ブーシュ=デュ=ローヌ県の県庁所在地である。2005年の人口は約82万人でパリに次ぎフランス第二位、都市圏人口ではパリとリヨンに次ぎ第三位の規模を誇る。」
「マルセイユのノートルダム・ド・ラ・ガルドと言えば、マルセイユのシンボル、バジリク・ノートル=ダム・ド・ラ・ガルド は、ニーム出身のマルセイユの建築家エスペランデュ (1829 - 1874) が設計した小バシリカで、1853年9月11日に定礎され、1864年6月5日に献堂された。」
「この教会の「黒いマリア」は、地中海の守護神ですよ。」
「そうなんですか。」
「黒いマリアと言えば、黒い聖母は、一般に黒い聖母マリア及び聖母子の画・像である。聖画・像がただ単に黒ずんだものもあるが、キリスト教信仰以前にオリエント一帯に広まっていた大地母神信仰が吸収されたものともいわれる。」
「ローマ・ビザンチン様式の聖堂の内部にあるフレスコ画は、白い壁に鮮やかに彩られ、アフリカ的な美意識を感じさせますね。」
「はい。」
「フレスコ画と言えば、西洋絵画の技法の一つである。「フレスコ」はイタリア語で「新鮮」を意味する。壁などの下地にしっくいを塗り、乾ききらないうちに水に溶かした顔料で描く。壁が乾くとともに顔料がしっかり定着する。ルネサンス期に盛んに描かれ、ミケランジェロやラファエロの作品が有名である。」
「広場からはアルジェの眺望が抜群で、市民の憩いの場となっていますよ。」
「はい。」
「近くには「クレオパトラの娘の墓」と呼ばれるモーニタリア王族の墳墓もありますよ。」
「そうなんですか。」
「クレオパトラの娘の墓と言えば、アルジェリアの首都アルジェの地中海を見下ろす丘上にあるモーリタニア王族の墳墓、通称「クレオパトラの娘の墓」(ティパサ郊外) があります。」
「中に入ることもできますよ。」
「はい。」
「アルジェ市街では、アルジェリアの独立のシンボル「独立記念塔」、殉教者広場にある「魚のモスク」、さらに「国立考古学博物館」は必見ですね。」
「そうなんだ。」
「国立考古学博物館と言えば、富豪のフランス人邸宅を改造して1897年に開館した、小さなミュージアムです。近郊のティパサ、シェルシェルの発掘品を展示しています。建物はイスラムの影響を受けたムーア様式です。中庭を囲むように部屋が並んでいます。」
「殉教者広場にある「魚のモスク」と言えば、殉教者広場には「魚のモスク」と親しまれるジェディ・ド・モスクも建っています。」
「アルジェリアの独立のシンボル「独立記念塔」と言えば、アルジェ市街では、アルジェリアの独立のシンボル「独立記念塔」、殉教者広場にある「魚のモスク」、「国立考古学博物館」があります。」
「アルジェには魚料理も有名で、レストランが集まる一角がありますよ。」
「はい。」
「アルジェリアは、治安が不安定な国ですよ。」
「はい。」
「旅行を企画される際には、外務省の海岸安全ホームページで渡航情報(危険情報)をご確認ください。」
「わかりました。」
このページのトップへ戻る
アルジェのカスバ~アルジェリアの世界遺産とアフリカ最大国の魅力~世界遺産旅行記~世界遺産アルジェのカスバ~アルジェリアの世界遺産とアフリカ最大国の魅力~世界遺産旅行記~


