武当山古建築~世界遺産旅行記へようこそ

「中国の伝統武術「武当拳」発祥の地である武当山は、湖北省十堰市にある山脈ですよ。」
「はい。」
「湖北省と言えば、湖北省は、中国長江中流域にある行政区である。南に洞庭湖が有るため、その名前を取って湖北と言う名称がつけられた。略称は鄂、省都は武漢市。」
「湖北省十堰市と言えば、十堰市(じゅうえん-し)は、中華人民共和国湖北省に位置する地級市である。十堰市は湖北省北西部に位置し、湖北省襄陽市(じょうようし)・神農架林区(しんのうか-りんく)、河南省、陝西省(せんせいしょう)、重慶市に接する。漢水が流れており、丹江口ダムがある。」
「中国の伝統武術「武当拳」と言えば、内家拳(ないかけん)または内家とは、太極拳・形意拳・八卦掌(はっけしょう)などを指す、中国武術の専門用語である。これらの武術は道教の聖地のひとつの武当山で、創始されたという伝説もある為に、別名を武当拳(武当派)ともいう。」
「中国の伝統武術「武当拳」発祥の地である武当山と言えば、武当山は、中華人民共和国湖北省十堰市(じゅうえん-し)にある山である。又の名を太和山という。周囲400km、72峰からなる広大な山で、主峰は天柱峰(標高1612m)。山脈中には道観(道教寺院)群がある。「玄天真武大帝」を奉る道教武当派と中国武術の武当拳の発祥地。道観は元の時代に戦火で焼失し、明の洪武帝の時代に再建された。道観と建物は1994年にユネスコの世界遺産(武当山古建築)となる。」
「そこにある古建築群が、「武当山の古建築群」として、1994年に世界遺産に認定されましたよ。」
「はい。」
「武当山の主峰は、「天柱峰」で海抜1,612m、そして周りには、71もの峰が主峰に向かって傾斜をしていて、独特の山岳風景を描き出していますよ。」
「そうなんですか。」
「「天柱峰」と言えば、「天柱峰」は、魯山・沂山(ぎざん)、蒙山の山地とあわせて山東中部の山地を構成する。なかでも泰山が最も高く、主峰の天柱峰(玉皇頂)は標高1545m。山麓地帯は安定した自然をもち、大●(さんずい+文)口(だいぶんこう)文化、竜山文化などの新石器時代遺跡も多く分布する。」
「その峰々は全長400kmにもなり、広大な地域がそのまま世界遺産として認定されていますよ。」
「広大ですね。」
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「武当山は、中国の道教における、「聖地の最高峰」とも呼ばれていますよ。」
「そうなんですか。」
「中国の道教と言えば、道教は、中国三大宗教(三教と言い、儒教・仏教・道教を指す)の一つである。中国の歴史記述において、他にも「道家」「道家の教」「道門」「道宗」「老氏」「老氏の教」「老氏の学」「老教」「玄門」などとも呼称され、それぞれ若干ニュアンスの違いがある。道教は漢民族の土着的・伝統的な宗教である。中心概念の道(タオ)とは宇宙と人生の根源的な不滅の真理を指す。」
「中国道教の最高神・真武大帝がこの山で修行を積み、神になったことで、道教にとっての重要な場所となりましたよ。」
「はい。」
「中国道教の最高神・真武大帝と言えば、真武大帝は、中国・道教の神々の中でも最高クラスの神である。武当山での修行の末、天に登ったという。武当山にあるシンブタイテイ像の足元の玄武は陰と陽の均衡、不老不死を意味し、シンブタイテイのシンボルである。20世紀初頭、一般家庭で新年の迎神のため飾ったという「天地三界十八仏諸神図」にも描かれている。」
「唐の貞観時代(627~647年)には、既に最初の道教施設「五龍祀」が築かれ、道教聖地の基盤を作っていますよ。」
「はい。」
「最初の道教施設「五龍祀」と言えば、武当山は、中国の道教における、「聖地の最高峰」とも呼ばれています。中国道教の最高神・真武大帝がこの山で修行を積み、神になったことで、道教にとっての重要な場所となり、唐の貞観時代(627~647年)には既に最初の道教施設「五龍祀」が築かれ、道教聖地の基盤を作っています。」
「唐と言えば、唐(618年 - 690年,705年 - 907年)は、中国の王朝である。李淵が隋を滅ぼして建国した。7世紀の最盛期には、中央アジアの砂漠地帯も支配する大帝国で、朝鮮半島や渤海、日本などに、政制・文化などの面で多大な影響を与えた。日本の場合は遣唐使などを送り、894年(寛平6年)に菅原道真の意見で停止されるまで、積極的に交流を続けた。首都は長安に置かれた。」
「唐の貞観時代(627~647年)と言えば、武当山は、中国の道教における、「聖地の最高峰」とも呼ばれています。中国道教の最高神・真武大帝がこの山で修行を積み、神になったことで、道教にとっての重要な場所となり、唐の貞観時代(627~647年)には既に最初の道教施設「五龍祀」が築かれ、道教聖地の基盤を作っています。武当山に根付いた道教は、徐々に人々に知られるようになり、道教寺院も増築されていきますが、玄代末期に、戦乱によってその多くが破壊されました。」
「中国の道教と言えば、道教は、中国三大宗教(三教と言い、儒教・仏教・道教を指す)の一つである。中国の歴史記述において、他にも「道家」「道家の教」「道門」「道宗」「老氏」「老氏の教」「老氏の学」「老教」「玄門」などとも呼称され、それぞれ若干ニュアンスの違いがある。道教は漢民族の土着的・伝統的な宗教である。中心概念の道(タオ)とは宇宙と人生の根源的な不滅の真理を指す。」
「武当山に根付いた道教は、徐々に人々に知られるようになりましたよ。」
「そうなんだ。」
「道教寺院も増築されていきますよ。」
「はい。」
「しかし、玄代末期に、戦乱によってその多くが破壊されましたよ。」
「はい。」
「玄代末期と言えば、唐の貞観時代(627~647年)には既に最初の道教施設「五龍祀」が築かれ、道教聖地の基盤を作っています。武当山に根付いた道教は、徐々に人々に知られるようになり、道教寺院も増築されていきますが、玄代末期に、戦乱によってその多くが破壊されました。」
「それらの寺院を修復、更に寺院を造築したのが、明代(1368~1644年)の永楽帝ですね。」
「そうなんだ。」
「明と言えば、明(みん、1368年 - 1644年)は中国の歴代王朝の一つである。明朝あるいは大明とも号した。朱元璋が元を北へ逐って建国し、滅亡の後には清が明の再建を目指す南明政権を制圧して中国を支配した。」
「明代(1368~1644年)の永楽帝と言えば、永楽帝は、明の第3代皇帝である。諱(いみな)は棣(てい)。廟号は太宗(たいそう)であったが、嘉靖帝(かせいてい)の時に成祖と改称された。諡号(しごう)は体天弘道高明広運聖武神功純仁至孝文皇帝、嘉靖帝の時に啓天弘道高明肇運聖武神功純仁至孝文皇帝と改称された。一般的に日本ではその在位中の元号から永楽帝と称される。至正20年(1360年)、紅巾の乱で頭角を現した群雄の一人・朱元璋(後の洪武帝)の四男として生まれた。」
「永楽帝は、武当山に30万以上の軍人や農民などを派遣し、道教施設の修繕・建築に当たりましたよ。」
「はい。」
「こうして古建築群は復活し、そして武当山の名声は更に大きくなり、中国全土に知られるようになりましたよ。」
「はい。」
「最も多かった時期で、道教寺院の数は、2万以上にのぼったと言われていますよ。」
「そんなにたくさんですか?」
「そして、いつしか人々は、「武当山こそが中国道教最大級の聖地である」と見なすようになりましたよ。」
「はい。」
「中国での武当山の位置付けは、中国道教五大山(泰山、衡山、嵩山、華山、恒山)よりも更に上ですよ。」
「そうなんですか。」
「中国道教五大山の中の「恒山」と言えば、恒山(こうざん)は、道教の五岳の一つ、北岳である。中国山西省大同市にあり、北を司るとされる。最高標高は2,016m。中国本土では五指に入る最高峰である。八仙のひとり張果老が住まうとされている。五岳の他の山々と同じく周時代から道教の聖地とされていたことが記録に残るが、他の四山ほど重要視されず、主要な巡礼地となることもなかったようである。」
「中国道教五大山の中の「華山」と言えば、華山(かざん)は、中国陝西省華陰市にある険しい山である。道教の修道院があり、中国五名山の一つで、西岳と称されている。最高峰となる南峰の標高は2,160m。花崗岩の岩場を削って、無数の石段が作られており、一部には断崖絶壁の上に作られた20cmほどしかない足場や桟道を通って行かねばならない場所があり、宗教聖地として、格段の険しい山として知られる。」
「中国道教五大山の中の「嵩山」と言えば、嵩山(すうざん)は、中国河南省登封市(とうほう-し)にある山岳群である。五岳の1つの中岳に数えられる。最高峰は標高1440mの太室山である。古代から山岳信仰の場として有名で、北魏時代からは少林寺などの道教、仏教の道場が建立された。」
「中国道教五大山の中の「衡山」と言えば、衡山(こうざん)は、道教の五岳の一つ、南岳である。中国湖南省衡陽市衡陽県にあり、南を司るとされる。最高峰は祝融峰の1,300.2m。古名を「寿岳」といい、二十八宿のうち人間の寿命を司るという軫星(軫宿(しんしゅく・みつかけぼし))と対応づけられていた。また、神農氏がここで薬となる植物を採ったとの伝説がある。」
「中国道教五大山の中の「泰山」と言えば、泰山(たいざん)は、中華人民共和国山東省泰安市にある山である。高さは1,545m(最高峰は玉皇頂と呼ばれる)。封禅(ほうぜん)の儀式が行われる山として名高い。道教の聖地である五つの山(=五岳(ごがく))のひとつ。五岳独尊とも言われ、五岳でもっとも尊いとされる。ユネスコの世界遺産(複合遺産)に登録されている。」
「したがって、古代から現在に至るまで、武当山が常に中国道教の中核的存在場所であったことは、間違いないでしょう。」
「そうなんだ。」
「武当山には、現在でも道教ゆかりの建築物が多く残っていますよ。」
「はい。」
「山麓から山頂までの道のりは約70km、その道程に、8つの宮殿、100以上の寺院、そして49箇所の橋などが点在していますよ。」
「そんなに?」
「文物も7,000点以上残っていますよ。」
「はい。」
「現在でもそこが中国道教の最高峰として、大きな影響力を持っていることが一目でわかりますね。」
「はい。」
「これら「武当山の古建築群」の中で、山の中腹にある紫霄宮(ししょうきゅう)と山頂にある金殿は、中国重点保護文化財に指定されている、非常に貴重な歴史遺産ですよ。」
「そうなんだ。」
「山頂にある金殿と言えば、金殿は昆明市東北郊外の鳴鳳山の中にある大自然風景区で、銅でできた建物が太陽の下に金色に輝くことからその名が付いた。美しい自然景観に恵まれ、明、清朝時代より有名な景勝地であったが、近年また国家級森林公園に指定された。」
「紫霄宮(ししょうきゅう)と言えば、武当山は、 湖北省にある標高1,612メートルの天柱峰(てんちゅうほう)を中心とする山で、太和宮(たいわきゅう)、紫霄宮(ししょうきゅう)など200もの道教建築が立つ道教の聖地です。元末期には戦火によって多くの建物が焼失しましたが、明の第3代皇帝成祖永楽帝が再建し、現在のような姿となりました。」
「武当山は、古くから多くの宗教家、武当家に拝まれてきた場所ですよ。」
「はい。」
「世界遺産に認定されてから、世界中から注目を浴びるようになったことは想像に難くないでしょう。」
「そうなんだ。」
「更に2000年に公開された映画「グリーン・デスティニー」は、武当術を題材にしており、武当山及び紫霄宮でも撮影が行われましたよ。」
「はい。」
「2000年に公開された映画「グリーン・デスティニー」と言えば、『グリーン・デスティニー』は、2000年の中国・香港・台湾・米国の合作作品で、王度廬の武侠小説『臥虎蔵龍(がこぞうりゅう)』を原作とした武侠映画である。」
「そのことにより、武当山には益々世界的な関心が集まったに違いありませんね。」
「はい。」
「武当山には、道教精神の世界、武術精神の世界、そしてそれらの精神世界を支えてきた場所・古建築群が存在し、日々そこを訪れる人々を魅了していますよ。」
「わかりました。」
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